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  戯れ


 月光浴には最適の夜だった。
 つやつやと光る漆黒の翼をはためかせ、ナルの身体は久しぶりの人間界の夜空を滑る。
 朝方に降った雨のせいか、しっとりと湿気を含んだ冷たい空気は肌に心地よく、引き締まる思いがする。
 加えて、今宵は満月。多少雲で見え隠れするものの、十五日掛かって丸く膨れ上がった月光は力強く、包み込むように優しい。
 ———月光には魔力が秘められている。
 人間界でも都市伝説のように噂される程それは有名で、真実だ。効果は種族によりまちまちだが、ナルの場合は月の光を浴びると全身、つまり頭のてっぺんから足の爪先まで魔力が満ち足りる。だから、空想上の生き物とされている者たちが悪事(それは人間から見た行為で、自分たちにとっては単なる捕食行為に過ぎないのだけれども)を働くのは満月が最も多いのだ。
 ふわふわ、風のない穏やかな空で浮きながらぐっと伸びをする。きっと、満月の光を浴びて今夜は魔界に生きる者にとって非常に過ごしやすい夜となるだろう。ナルにとっても今日は最高の夜だった。
 漆黒の翼を持つ者———所謂悪魔と称されるナルは、魔界において研究者として名を馳せている。普段は魔界にある自分の城に閉じこもって、趣味でもあり仕事でもある研究に没頭しているのだが、閉じこもっているだけでは、生きることはできない。
 悪魔は永遠の命を持つ者ではない。人間同様に、食事や睡眠によって命のサイクルは保たれている。
 生きるために、悪魔は悪魔なりに、捕食行為により生命維持を行わなければならないのだ。
 所謂、他の者の『生』を奪う行為を。
 生きている者しか持たない独特の生気を奪い、それを自分の命の糧とする、それが悪魔にとっての食事だった。
 奪う方法は何でもいい。殺すもよし、精神を壊すほどの残酷を与えるもよし。どんな形であれ、その者から生きる気を無くせば、つまり『生』を奪えばいいのだ。
「……」
 食事など面倒だと切って捨てられればどれだけいいか、と思う。だが、捕食行為を拒むことは悪魔の本能では不可能なのだ。そういうふうに悪魔はできている。
 飢えを訴える本能に身体が従い、ナルは久方ぶりに人間界へと降りてきたのだ。
 ナルは必要最低限の食事しかとらない。それにも関わらず、ナルと他の悪魔と捕食行為の回数はそう変わらない。ナルは、他の悪魔よりも、他者の『生』を自分の糧にする力が弱いからだ。
 それは、ナルが他の悪魔と大きく違う点に由来する。
「……そろそろか」
 ———宵は満ちた。
 ナルは自分の糧となる生気を探し、自分の持てる感覚の全てを鋭敏に尖らせた。
 生気を奪うなら、出来るだけ清廉な気を纏う者からがいい。
 普段清楚に過ごしている者ほど、生気の質は高く味も極上の物となる。さらに生気の香りは個々によって異なる。色々な香りが微かに漂う中、極上の生気であればあるほど、それはとてもナルたち悪魔を惹きつける。
 質が高くなければ、一回の食事で悪魔は満たされない。それ故に、いくつもの『生』を奪わなければならない。ナルはそういった非効率なことが嫌いであった。
 だからこそナルは、一度の食事で済むような、極上の生気を探して、今夜も漆黒の空を駆ける。
 そのときだった。
「———見つけた!」
 声に振り返る。視界に大きく映り込むのは、ナルの持つ漆黒の翼とは正反対の、純白の翼。
 なんというタイミングだろうか、思わずナルは口の端を緩ませた。
 ナルは極上の生気を探していた。そして、その極上の生気を持つ者は、ある種族にとても多いのだ。
 ———純白の翼を持つ、天使に。




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