悪魔の棲む山
〜 プロローグ 〜
「いやっ!やめて、ナル……っ!いやぁっ!痛い痛い痛い〜〜〜っ!!」
喉から悲鳴がほとばしる。目尻からはひっきりなしに涙が流れて、こめかみを伝い髪の生え際に吸い込まれて行く。
覆い被さる身体を引き剥がそうと、目の前の白い肌を押し返しても爪を立てても、想像していた以上に硬く引き締まった筋肉はまったく揺るぎもしなかった。
「ひっ……あ、ナル、ナルぅ……!おねが……、もうやめてぇ……っ……!」
「……ダメだ、麻衣。今さらやめられない……。諦めて力を抜け。少しは楽になる」
「や、無理……っ。お願い、痛いのぉ……っ!もうやめ……ひあぁぁぁっ!!」
必死の懇願を無視して、ナルの体がゆっくりと動き始めた。麻衣の体の中心に、深く楔を打ち込んだ状態で。
それは麻衣にとって、焼けた鉄の棒か何かで体の中を掻き回されるようなもので、ほんの少し動かれるだけでも強烈な痛みが頭の天辺まで突き抜ける。
きつく目を瞑り、眉間に力を入れて堪えようと思っても、零れる涙と悲鳴は止められなかった。
「いやぁっ! 痛いぃぃ……っ!!」
その体重で圧し掛かるようにしてぐっと奥まで開かされて、あまりの痛みに目を見開いた。
涙で曇った視界に映ったのは、目を閉じ僅かに眉間に皺を寄せているとはいえ、この世のものとは思えないほど整った綺麗な顔。
ほんの刹那、悲鳴を上げるのも忘れてその顔に魅入ってしまう。
声が止んだことに気付いたのか、ナルもふと動きを止め瞼を開いた。
真正面から視線が絡み合う。
ただの黒とは違う、宵闇を幾重にも重ねたような深い深い蒼色の瞳。
しっとりと光を跳ね返すその真夜中色の瞳の中に、みっともないほど涙を流した自分の顔が映っていた。
「ナ……ル……」
思わずその名を呟くと、彼の形いいくちびるの端がふっと上がった。
その口の端だけで笑う顔が壮絶に綺麗で、魂まで魅入られてしまいそうで、それゆえに恐ろしくて。
悪魔——。
唐突に思い出す。
そうだ、彼は悪魔だ。
心も体も身動きできないように貫き止めて、いましもあたしを捕えて喰らおうとしている。
その事実に慄き、本能的に逃れようとした華奢な体を、白く細い、けれどしなやかで硬い筋肉が包む体が、一瞬早く押さえ込んだ。
その背に黒々とした羽根を広げて。
「いやあぁぁぁっ!!」
深い夜の闇に、絹を裂くような声が響き渡った。
〜 1 〜
それは新月の夜だった。
星も雲の影に隠れ、月明かりもない、ただ悪戯に黒い絵の具を塗り込めたような空の下、麻衣は足元だけを見つめて黙々と歩いていた。
さっきまで麻衣の前後を挟むようにして歩いてた男衆も、今はもういない。
護衛とは名ばかりの、実際のところ監視役であった彼らは、山の中腹まで来るとその役目を変えた。麻衣をさらに上へと追いたて、怖気づいて戻ってくることを阻止するための見張り役へと。
さらに上の禁足地とされる場所に麻衣を送り込まなければならないが、自分達がそこに足を踏み入れることなど真っ平御免だとばかりに、ここに陣を張って退路を塞ぐのだ。
いまさら抗ってみても無駄だと知っている麻衣は、視線を合わそうとしない一向に形ばかり頭を下げると、振り向きもせずひたすらに山の頂上を目指した。
「ったく、も〜!何だよこの山道!少しは歩きやすく整備しとけっての!じゃなきゃ、せめてもっと歩きやすい靴履かせろってのよ!何この無駄なヒール!花飾り!この暗い山道で、一体何の役に立つっていうのさ!上に辿り着く前に、足でも挫いたらどーするんだっつーの!」
暗い山道に場違いな声が響く。
声を発する麻衣は、白いキャミソールドレスを着て白いショールを羽織り、白い靴を履いている。
その靴は幾ばくかの配慮なのか低めではあったけれど、ヒールのある華奢なもので、とてもじゃないが山登りに向いたものではない。ましてショールを羽織ってるとはいえ、肩が剥き出しのドレス一枚だ。昼間ならともかく、こんな高いところでは夜はまだまだ冷える。
麻衣はぶるっと体を震わせると、自分の二の腕をさすった。
「こんな格好させて、風邪でも引いたらどうするんだっつーのよ……」
こんな格好。
まるでこれから結婚式でも迎えるような、白尽くめの衣装。
そしてそれはあながち間違っていない。
麻衣はこれから、悪魔の花嫁になりに行くのだから。
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